2017. 08. 07  
8月6日 広島に原爆が投下された日~平和を祈る日

しかし、その裏で原子力産業をも輸出している国家
平和の祈りは単なる儀式に、見栄えの良いセレモニーが放映される、この日だけ。
(自己の栄華よりも平和を尊ぶ一部の人以外)その中に祈りがあるのだろうか?
 (気概を持った日本人は何処へ消えてしまったのか~原子力反対・戦争反対と旗を振らねばならぬ国が、形だけ祈りを見せて陰では商売にしている)

【第2章】蘇る友情
近藤亨氏は新潟県の純農村地帯の大きな地主の家に生まれた。
高等小学校になると街の子らと共に学ぶ校舎に通うようになるのだが、昔の事、農村と町の暮らしぶり、経済力には大きな隔たりがあり、服装・文具・弁当の差にとどまらず、農繁期は家の農業の手伝いもある農村の子らは学習時間においても大きなhandicapを背負ってた。
にも拘らず、二人の農村の子供がトップを競い合う。
その一人は近藤亨氏であり、もう一人:石沢秀五氏は中農の子で進学を望める環境ではなく、しかし彼の才を惜しむ支援の声も断り、実家の農業を継ぐ己の道を進んだ。
後に、二人は故郷で再会し、近藤徹氏のムスタンの活動の力強い支援者してと地元新潟県での協力活動をされた。とある。

当時(1935年・昭和初め)は農村の暮らしは時折TVドラマや映画では観るが、それ以上に厳しかったに違いない、
亨氏は「殊に農繁期には、今のネパールの子共達と同じく、大事な働き手の一人として、学校を休まざるを得ず、勢い、町の子共達との学力の差は顕著で。各クラスの上位はすべて町の子で占められているのです。そのことが何時も悲しく悔しくて堪りませんでした。」
・・・亨氏は、農村の子の名誉にかけて、必死に勉強し、お二人は励まし合い、常のトップの座を競い合ったと…記されています。

近藤亨氏、石沢秀五氏~子供の時から意志の強い己の道を断固として通すこの精神に、私は深く恥じてしまいます。
亨氏がムスタン支援の活動を決意された際、その資金調達に先祖伝来の家屋・田畑・山林を売り払い、一族縁者にも支援を仰ぎ、個人の資金で始められた活動を、同じ強い志のある友は共感し、一心同体の心意気で支え続けたと〰そう思います。


昭和はじめの農業

昭和21年の家計と暮らし私の生まれたS21年がどのようだったのか興味深い記録です。
ムスタンは英語でmustang = 野生馬だ(フォード"ムスタング“をご存知か、そのエンブレムは野生馬)。

ムスタン巡礼の旅 後編
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Author:レディー
メタボだったパパは、山梨の自然の中で土に触れ果樹に触れ健康をとりもどし、 夫の健康を気づかうママは・・・ヘルシークッキングの野菜も作りながら食の安全・健康農業を紹介しています。

果樹園にそよぐ風に癒されながら『緑の農地を少しづつ一人一人が守る、緑の日本』を夢見ています。

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