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2020. 02. 13  
山に生きる人びと(宮本常一著)
山の暮らしは想像を何万倍も超えるほどに、厳しいものです。
高価な登山用品を買い揃え、頑丈な靴を履いて登る山とは、全く違う世界であり~「山の空気が好き!」と、~気楽にのぼる登山者が口にもするのも憚られる壮絶なものでした。

殊に、15章 杣と木挽には、木曽の林業の歴史が綴られている。
伐採した材木を木曽川を利用して運び出すのだが、上流で筏の組めない処では、一本一本を川流しする。その折、岩や木に引っかかった材木を外して流水に乗せる作業を川狩りと言った。
この川狩りを行うとき、大きな材木や材木を2,3本組んだ小筏に乗って、岩をさけつつ下流に下っていく人夫を中乗りと言い、木曽節に歌われている。
材木の流送は、水が少なく川が穏やかな冬季に行うので、山深い寒冷な木曽の冬の川下りは "(-""-)" 想像するに余りあるむごさを想像すると胸が痛む。
彼らの暮らしは、通路を一段掘り下げ、焚火を炊き、火の上に鍋を吊るし掛ける。そして、その通路に垂直に筵を敷き、筵一枚が一人分の生活空間になる。

・・・ここまで読んで、木曽の中乗りさんの事実を知り・・・しばらくはこの本を読めなくなってしまった。
途中に 児玉すみ子著「旅に想う」を読んだり、山で拾った果穂を図鑑で調べ、毛山榛の木の果穂と知って慰められたりして、数週間を過ごしたほど、木曽の中乗りさんは強烈に迫ってきた。 そして、山中の至る所に、山で命が絶え、不運のうちに果てた人びとが、弔われて、自然石を置いて墓にした、という事も知った。
 児玉すみ子著、「旅に想う」の中に、筆者が自分の山旅について~山は聖地、山は巡礼路と書き綴っていたが、山で生きた人々の想いが深く残る山中。更には、自然石の墓の傍らも知らずに歩くであろう、登山は巡礼者の心無くして歩くことはできない。

2020. 02. 10  
ほんの小さな油断から、日本人の生活環境も健康も、自然環境もあっという間に恐怖の世界に陥る。猛威振るう「ブラジルチドメグサ」・・・日本の自然の美しさを願いつつ、山で目にするものたちに愛を!

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登山中には、気になる樹に次々と出会う。
美しい樹が多い~葉の形に造形美が~木の実は殊の他愛くるしく、岩陰に咲く花に勝るとも劣らない言葉を含んでいる。
図鑑で観ると、松ぼっくりのようなものは、木の実ではなく果穂と呼び、料理に使う松の実は、この果穂の中にある。そんな細かい植物たちの暮らしぶりは~興味があっても、なかなか知るものではない。

・・・しかし、木の名前やその生きざまを知るのは一苦労だ。
山と渓谷社の分厚く重い📖 「日本の樹木」には、写真も多く判りやすい筈なのだが、、、私には、なかなか意味不明の言葉も多い。

 ≪実≫
▲蒴果(サッカ) 蒴果とは オクラ、スミレ、夏椿など莢が割れる。
▲豆果(トウカ) 豆果 いつも草取りに悩まされる、カラスノエンドウがまさにこれだ(苦笑)。
▲袋果袋果・タイカ アケビ、
▲そう果そう果とは
痩果(そうか)
薄くてかたい果皮の中に、一つの種子が包まれている果実。
果皮と種皮が密着しているので、一見すると種子のように見えるが、果実の一種である。
イチゴ、タンポポ、ヒマワリ、イヌタデ、ギシギシ、イラクサ、オミナエシ、ウマノアシガタなど
▲翼果 翼状に二つに分かれる、モミジ、カエデ
▲液果 柿や葡萄など

外に、▲梨状果(林檎、梨) ▲みかん状果 ▲いちじく状果 ▲核果(桃、アーモンド、梅)▲集合果(イチゴ、桑、すずかけ)などと分類され、木の実の形状だけでも難しいものだと思います~植物も人体同様に複雑で、命を伝える大変さの証です。

  ※児玉すみ子著≪旅に想う≫の参考文献にあった、「山の自然学」小泉武学著、岩波文庫を取り寄せている。山の自然環境も急激に変化している今、~守れずとも知るべき問題と思っている。
2020. 02. 09  
山友から勧められた「山に生きる人びと」
1月23日から読み始めたが、難しい漢字も言葉も山のように波のように~限りなく。
記憶力も悪いのだから、調べたら確り記録しておかなければ・・・読むに当たっては、調べなければ先に進めない・・・"(-""-)"不勉強を嘆きつ真剣な読書である。

心臓の中身を抉られる📖山の暮らし~以前より知りたい気持ちが潜在的にあったことは確か~と、気付かされる📖
処が、木曽の中乗りさんで、読書はいったん止まる、中乗り、特に冬期に行われるその作業と山の暮らしぶりに、それ以上に読めない、、、青緑色の重さが覆いかぶさる、、、一旦ここまでにして、後の完結迄は後日にしよう。

◎児玉すみ子さんが、ご自身の著書にサインを入れて旅に想うを贈ってくださった。その中に「山は聖地であり、山を巡る道は、巡礼路であったのではないか」と、ご自身の山旅を語っているが、山に生きる人びとを読むと、素直にうなずけ私自身にも重なるような気がする。



▲鍬(クワ) ▲篋(キョウ・はこ) 篋篚(キョウヒ・贈り物) ▲筳(テイ・小さい竹の枝)  ▲竈(かまど、へっつい)  ▲釣徒(チョウト・釣り仲間) ▲筵(むしろ、筵席=宴席)

サンカ 定住することなく狩猟採集によって生活する。箕を生産することでも知られ、交易のために村々を訪れることもあった。
職業の区別もあり[1]「ポン」と呼ばれるサンカは川漁、副業的な位置として竹細工などをしていた。
また「ミナオシ」、「テンバ」と呼ばれるサンカは箕、かたわらささら、箒の製造、行商、修繕を主な収入源としていたとされる。
私的所有権を理解していなかったため、日本人の村人からは物を盗んだ、勝手に土地に侵入したと批難されることも多かった。
拠点(天幕、急ごしらえの小屋、自然の洞窟、古代の墳遺跡、寺等の軒先など)[2]を回遊し生活しており、人別帳や戸籍に登録されないことが多かった。
サンカは明治期には全国で約20万人、昭和に入っても終戦直後に約1万人ほどいたと推定されているが、実際にはサンカの人口が正確に調べられたことはなく、以上の数値は推計に過ぎない。
日本語を使用するが、一部の単語では独特なサンカ言葉を使用する。

▲栗毛・・・脚を馬(栗毛)に見立てて、山旅の案内、荷物を運ぶ仕事
▲ふんこみ(踏込み)・・・旅や動きの激しい時に履く、袴=踏み込み袴
▲むかばき(行縢)・・・脛に巻く布、革で出来た、スパッツ。ゲーター。遠行の外出・旅行・狩猟の際に両足の覆いとした布帛(ふはく)や毛皮の類。中世の武士は騎馬遠行の際の必需品とし、シカの皮を正式として腰から足先までを覆う長いものを着用した。現在も流鏑馬(やぶさめ)の装束に ...

▲裳階(もこし)裳階 本屋根の下に雨を防ぐため一回り小さい屋根を重ねて附ける建築用法
▲造寺司・・・奈良,平安時代,寺院の造営,造仏などのため,臨時におかれた役所。四等官の下に,史生,舎人,大工,番上などをおいた。8世紀に多数の造寺司がおかれた。
▲櫃工(ひつこう) 指物師のこと  ▲土工 左官のこと  ▲鉄工 鍛冶屋のこと
▲匠丁(しょうちょう・しょうてい)奈良・平安時代、飛騨国から徴用された正丁 (せいてい) の木工。その役務の代わりに庸・調が免除された。
▲木地屋(きじや)山の漂泊者
 木地屋とは、『民族学辞典』によれば、山中の樹を伐り、ロクロを使って椀・盆などの木地を作る特殊の工人をいう。木地師、木地くり、木地挽き、挽物師、ロクロ師などと呼ぶところもある。諸国の山中に彼らの墓跡と称するものが少なくないこと、また彼らが小屋掛けした跡を木地小屋、木地畑などと称して今なおその名をとどめる地の多いことは、ほとんど全国にわたる彼らの後半な漂泊生活を物語っている。
 木地屋の本拠は滋賀県(近江)愛知郡東小椋村であったが、ロクロの使用はかつては極めて特殊な技術であったから、彼らの大部分は数百年前から、原料の良材を求めて、諸国の山から山へと漂泊を続け、次第に山間に土着して村生活を営むに至ったものと思われる。土地の住民からはいくらか軽しめられていたが、日本の工芸史には大きな足跡を印した人々である。現在の著名な漆器工業には、木地屋の来往を基礎としたものが多い。会津漆器、日野椀、吉野塗、但馬の竹田椀などの起源、製造にも彼等が参加した。お茶街道昔話

▲綸旨(りんじ)とは、蔵人所(くろうどどころ)が天皇の意を受けて発給する命令文書。 綸旨とは本来は「綸言の旨」の略であり、天皇の意そのものを指していたが、平安時代中期以後は天皇の口宣を元にして蔵人が作成・発給した公文書の要素を持った奉書を指すようになった。御綸旨(ごりんじ・ごりんし)とも呼ぶ。

▲櫓櫂・・・意味は船を動かす、ろとかいのこと。海
▲轆轤師…木地屋木地屋の中でも椀物等食器を作る。
▲顚(顛・テン) 顔は略字、 ひっくり返るの意味もある~顚倒(てんとう)顚末 山巓(山顚)山の頂付近
榑木(くれき) 年貢の変わりにも納められた、上質な建築木材

たたら鉄工と野だたら・たたら師旅に想う
2020. 01. 20  
山に行くようなり、地球のことがやけに気に掛かるようになった。
📖 ≪地球の履歴書≫の中にも、塩の道、塩尻の地名の謂れが載っていて、興味を惹かれた~人と塩のかかわり~である。

地球の履歴書を読み終え、塩の前に、まず気になるのが山と里と、里の人の暮らし。
一昨年登った≪大烏山≫には、産業規模の大きさの炭焼き窯跡があり、近い所に≪馬止根場≫と呼ぶ広い場所もあり、当時の炭焼きと運搬の歴史が観られる。
今年の初登り「扇山」で、同行の平林様のお薦めの 📖宮本常一著「山に生きる人びと」 は、本屋に依頼中で届くのが楽しみだが、更に📖宮本常一著「塩の道」も追加注文して合わせて読んでみたい本。

塩の道===それは人の暮らしの歴史そのものに重なる。
古来、山奥の土地では自分達が塩を煮る為の木を、川を使って下流へ流し、海岸へ出て行って自ら焼いていたが、やがて海浜の住人に自分達の分まで焼いて貰う為に余分に木を流す様になり、更に瀬戸内海産の塩が流通し始めると、今度は木を町で使う薪として販売し、その利益で塩を買った。更に発展すると塩を売り歩く商人達が交易を始め、塩を流通する道が生まれ、木材に限らず、麻を晒す為の灰を売って塩に替えたりと、地域による交易の多様性を産んで行く。

塩を担送するのは、主として牛に拠った。牛は重量物を長距離運べ、更に野宿に適する。馬は重量物運搬に適さず、必ず馬宿で宿泊せねばならず(牛も雨天では牛宿)、何より馬は各藩で管理が厳しい。また飼葉を必要とする馬に較べ、牛は道草を好んで食べる為に経済的でもあった。塩を運ぶ牛が通る道は道草を食う為に、街道に沿った細道を使った。ただし山中で牛と野宿する場合は必ず焚火を朝まで焚き、牛の背の塩を求めて集まるオオカミなどの野獣の被害を防いだ。(狼にも塩は貴重と知る)」

貴重な塩に纏わる生活の知恵も興味深い。牛が通行出来ない険しい高山地帯へは、ボッカ(歩荷)と呼ばれる男女の人夫が担送し、塩の他に、塩よりも高価で、より高い運賃が取れる塩魚が運ばれた。塩魚には多量の塩が詰められていた。大和国の山中では塩鰯を買うと、塩が散る事を防ぐ為に必ず焼く。そして1日目は舐め、2日目は頭を囓り、3日目は胴を食べ、4日目に尻尾、と時間を掛けて塩分を摂取した。また奥地の村の農家では、ニガリの多い悪い塩を買い、そのニガリを漉して集め、豆腐を作るのに使った。

日本のどんな細道も必ず海に通じ、どんな奥山であっても、日本人は塩を通して、海との関わり合いを持っていた。
2019. 09. 11  
笛吹川
先日≪新ハイキングクラブ≫の企画に参加して、小楢山へ登った折、同行者の中に80歳代の神奈川県から参加の男性が一緒だった。
「山梨が好き。」「武田信玄が好き。」と言うので~小楢山の山頂から自宅の集落が見える~地元から只一名参加の私は「メール交換しましょうと!」、山梨を愛する私の口から出た~に、 彼は「武田信玄の本は沢山読んだ。」、と語る。

そして話の中で勧められた本≪笛吹川/深沢七郎著≫を読んで、表面しか知らなかった故郷の中の地層が見えたように思った。良い本、興味深い本、人生は何処かへ押しやられていく…。読み終えて、十代の頃からの同郷の友、今は施設で暮らす読書好きの友に。早速送ってやろうと思う❣

山を愉しむ―60歳からの山登り  (ちくま文庫)
日本山岳会の登山講座の初日、会員の理事の一人から「○○さんは瑞牆山に行かれないよ。」と言われた~その理由を訊ねると、「茅が岳に登るのにやっとだった。下りも手間取った。」という答えが返ってきた。他の理事は「大丈夫だよ!ゆっくり行けば。」と傍らから助け船~♡
そこで、標準タイムで登山が出来る者しか登山はしてはならない?…という事は無かろう。60歳過ぎれば、徐々に登るタイムは遅くなる~そんな年齢層が、安全に自分のペースに合わせた計画で、安全登山を楽しむのは悪い訳はなかろうと~購入した本。
冒頭部分に
ヨーロッパの老人施設の入り口に「天国へ行く前に、一休み」とあったが、「天国へ行く前に一登り、それからゆっくり一休み」と、ゆこうではございませんか。。。とあって、まったくその通り〰天国へ行く前に生まれ故郷の山々に! 感謝を伝えにですよ~ォ。
プロフィール

レディー

Author:レディー
メタボだったパパは、山梨の自然の中で土に触れ果樹に触れ健康をとりもどし、 夫の健康を気づかうママは・・・ヘルシークッキングの野菜も作りながら食の安全・健康農業を紹介しています。

果樹園にそよぐ風に癒されながら『緑の農地を少しづつ一人一人が守る、緑の日本』を夢見ています。

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